会長からのメッセージ

はじめまして。会長の石田淳です。
まず始めに、私が学習塾を創業するに至った経緯をお聞き下さい(少し長い文章ですが、最後までお読みいただければ幸いです)
それは、1998年にさかのぼるお話です。ちょうど長野オリンピックの年、私は結婚して3カ月も経たないうちに当時勤めていた会社を辞めました。「何を血迷ったか?」と知人から親戚まで全員が反対したのを覚えています。それもそのはず、大手学習塾上場企業を自分からわざわざ辞めたのですから。

しかし、私が創業して間もなく、たった一人応援してくれた父は、他界してしまったのです。せめて、父の考えを理解し、それを教育の場で活かすことができればと思い、父が残してくれた沢山の書物に目を通していると、付箋のついたある1冊の本に目がとまりました。その付箋のついたページには、ある15歳の少年の詩が載っていました。

僕は、
死ぬ前に何かひとつ
すばらしいことをしたい。
詩を書いて残す
小説も
絵も
僕にできることを
何かひとつ
いずれ僕も死ぬが
詩や小説や絵は死なずに生きる
僕は
筋肉の力が弱くても
体が弱くても
人生をすばらしく生きるんだ

(以下略)

※『車椅子の青春』
(国立西多賀病院詩集編集委員会編、エール出版刊)より抜粋

この詩の作者、八木和宣君は筋ジストロフィー症で高校生になる前にこの詩を残し、中学3年生の11月に亡くなりました。私は、父が残したこの詩から何を学ぶべきなのか、しばらく考え続けました。

・父は生涯を通じて何を目指していたのか?
・自分はいったい何ができるのか?
・子どもたちに何を伝えるべきか・・・?

子どもが思ったようにテストの点数がとれない。宿題がなかなかできない…。言うことを聞かない…。親御さんは様々な悩みを抱えて当塾に来られます。しかしそれは、実はそれほど大きな問題ではないのではないでしょうか。

大切なのは、

●今、その子が、前の状態より少しでも進歩しているか?
●その前向きな姿勢を私たちが見逃さずに発見することができているのか?

であると私は思いました。

15歳で亡くなった八木君は、死に直面することで、自分の人生と向き合うことができました。どうやって自分を表現して、今よりも少しでも良く生きていけばいいのか?を限られた人生の中で考えたのです。

私はこの詩を読んで、父と同じ様にさらに教育という世界で生きたいと強く思いました。だからこそ、上場企業を辞め、子どもたちと、子どもたちを支える親御さんのために理想の学習塾を創ることを目指したのです。

理想の学習塾、理想の組織を試行錯誤しながら築いている過程で、私は「行動科学」に出会いました。「行動科学」との出会いによって、岐阜県で始めた小さな学習塾はサービスとしても、企業としても急激な成長を遂げました。現在では小中学生向けの学習塾だけでなく、別グループ会社では、企業向けのマネージメントのコンサルティングを行うなど、あらゆる世代に教育サービスを提供できるようになりました。

今後も、新たなサービスの開発も視野に入れ、拡大・成長をはかっていく予定です。